変動為替相場・キングストン体制

スミソニアン協定によって各国の通貨はドルに対して強制的に切り上げられ、大幅なドル安になりましたが、アメリカの財政赤字・貿易赤字の縮小は全く改善されませんでした。

結局1972年6月にイギリスが変動為替相場に移行したのを皮切りに、1973年の3月までに先進各国全てが変動為替相場に移行し、スミソニアン体制はわずか2年ほどで終了しました。このとき、ヨーロッパ諸国はヨーロッパ同士の通貨に対してのみ固定相場を用いるという制度を採用しました。


こうして固定為替相場から変動為替相場へと本格的に切り替わったわけですが、いきなりの危機が訪れます。1973年末から始まった石油ショックにより、物価や国際収支が異常な数値になった結果、各国の通貨価値が激しく変動したのです。この時は有事の際のドル買いが活発になり、ドイツマルクや円など、それまで強めに推移していた通貨に対してもドルが買われました。特にイギリスポンド、フランスフラン、イタリアリラなどの通貨は投機の加速もあり、大きく下落する形になりました。


石油ショックによる危機克服のため、1975年11月に記念すべき第一回先進国首脳会議が開催されます。さらに、1976年1月にはジャマイカのキングストンでIMF暫定委員会が開催され「固定為替相場と変動為替相場の採用は加盟国の自由選択」「金の公定価格の廃止」「IMFへの金出資の廃止」などの事項が決定されました。IMFが緊急時の融資という役割に変わったのはこの時です。これ以後の為替相場の体制は、キングストン体制と呼ばれています。